好きな人と好きな人

 

 2014年4月、好きな人がCDデビューをした。

 2014年7月、出会ったバンドがいる。女子高生が書道に奮闘する物語だと勘違いしたまま見始めた素敵なアニメの、OPを担当していた。胸打たれ、大好きになった。こんなにも強くバンドを好きになったのは初めてで、MVを見て、CDを買い、いつだって心の中で抱きしめていた。道しるべのような、宝物のような存在となった。私が日々の生活の中でわからないまま置きっぱなしにしていた「苦しさ」「歯がゆさ」を掬い上げ、言葉にし、解釈を提示してくれているようだと思った。彼らの音楽とそのスタンスには、数えきれないほどの新しい気づきをもらった。私に「人と向き合う楽しさ」を気づかせてくれた、何者にも代えられない唯一無二の人たちだ。出会ってから今もなお、そうでなかった時を数える方が難しいほど、私は彼らの音楽と共にいる。

 

 2017年頃、自分の中で好きな人をうまく応援できていない葛藤に気付き、少し離れることにした。

 でもまあさ、好きだから、ね、ずっと。という想いでいたために、つけっぱなしだったテレビから声がしたとき、音楽特番で見かけたときは、とてもうれしくあたたかい気持ちになった。誰かがドラマに出る、新しい番組ができる、なんて情報をうっすらと目にすれば、最高!わかってるね、偉い人!という気持ちだった。変わらずにある中で、確実に先へ進んでいる彼らが誇らしい。そんな想い。

 

 私の歩みと共にいてくれる大好きなバンドの他にも、1、2個違うジャンルの素敵な人に足を踏み入れ、応援をした。友達の影響で出会ったフレッシュさ溢れる素敵な人は、一人で細々と応援していた。新しく共通の好みを持つ友達と出会うこともなかったため、会いたいという想いを一人で消化するしかない。彼を見るために一人で電車を乗り継ぎ、ステージに立ってライトを浴びて、大きな口を開けて笑っている姿を何度か拝見した。

 これまた友達の勧めで見た作品から、友達よりもずぶずぶとハマり、数多ある素敵なグループに手足を突っ込んだ。少し前まで私とは結びつかない!なんて思っていた彼らの曲を聞き漁り、洗練されたパフォーマンスを見て、顔と名前を覚えた。自分を律することが上手で、しなやか且つ力強い踊りをする素敵な人がいた。FCに入り、楽しい動画コンテンツを見漁った。テスト前の追い込み勉強時、かっこいいライブ映像をBGMにノートに字を書き殴ったり。彼らには、勇気が出ずに会えずじまいである。

 

 2021年1月。お風呂上り。テレビの前を通り過ぎようとしたとき、そこにはいつだって気にかけていた好きな人が、素敵なバンドと共演をしていた。私は思わずテレビの前で立ち止まり、仁王立ちのまま、凝視した。画面の中にいた彼らは、そのパフォーマンスは、私の思い描いていたような素敵な彼らであったし、私の想像をはるかに超えるような熱量に溢れたものであった。好きな人と素敵なバンドのぶつかり合いが、グングンと私の心の中に入ってきた。仁王立ちのまま、大号泣した。

 このコラボは、以前同番組内であった絡みから生まれた、なんとも心温まるご縁であるそう。私は、コラボの始まりとなった以前の放送を見ていたことを思い出し、自らが持つ魅力で手にした最高のステージを目に焼き付けられたことを、強くうれしく思い、大切に心の中にしまっておこうと思った。とても感動をした。

 

 

 2021年2月3日。大好きなバンドがアルバムを出した。新しいものを生み出してくれること、そこにかかる労力を想像することしかできない無力さを感じながら、増えた宝物をやさしく抱きしめて、新しい日々を踏みしめた。

 2021年2月5日。とっても、とっても信じがたい言葉を目にした。大好きなバンドのオフィシャルアカウントが、好きな人のグループ名を載せていた。何度か瞬きをし、目をこすってもみた。動揺のあまり上手に理解できない文章をゆっくり読んでみる。そこには、「ALBUM」「作詞作曲」「収録」の文字があった。

 私が大好きなバンドには、そのバンドのほとんどの楽曲の、ゼロからイチを生み出している素晴らしき人がいる。彼が以前親交のあるアーティストに楽曲を提供していたのは知っていたし、実際に聞いてもいた。ただそれも最近と表現するには不十分な程度には前のことである。私は、それまで一度も、好きなグループと好きなバンドを掛け合わせたことがなければ、頭の中で隣同士に並べたこともなかった。私の中では、非常に唐突な、突然な、ひょんな、驚きを隠すことが不可能な出来事だったのだ。*1 大きく動揺したまま、私は思いのままに涙するなどして取り乱した。

ゼロからイチを生み出し提供をした素晴らしき人のツイートを、何度も読んだ。冒頭「ご縁あって」の「ご縁」が何なのか、三日三晩考えた。私の知る限り未だその答えは明かされていないが、その「ご縁」が特別で大切で最高なものであることだけ、私は胸を張れる。

 

 2021年3月15日。「ちょっと待ってよ」と口に出した。そんな気がする。「楽曲を提供します」と私の心に幸せな雷が落ちた日から、まだそのアルバムが発売もしていないのに、「ちょっと待ってよ」。

「Time gose by」という楽曲以来のあいみょんさんからの提供、「サムシング・ニュー」というシングル。そのカップリングに、2月5日のデジャヴが。こんなに幸せが重なることってあるのかな、あってもいいのかな。あまりの供給過多っぷりに少し怯えてしまった。

 

 2021年3月17日。好きなグループのCDを、何年かぶりに手にした。キャラメル包装を丁寧に剥がし、ブックレットを開いて、タイトル「春じゃなくても」の下に刻まれた素晴らしき人の名前と、大好きなバンド名をなぞり、噛みしめた。夢心地である。

 曲の感想だなんて、言い始めればきりがなく、かと言って綺麗な正しい言葉に落とし込める自信もない。記念すべき、最高の、素晴らしい楽曲「春じゃなくても」はとてもいい曲だ。私は、その時の自身の感情に身を任せ、泣いた。大好きな言葉と、大好きな音、大好きな声であった。何度も何度もリピートをした。いつ「これは夢だよ」と言われても、「ああ、そうですか」と返せるなあと夢見心地のまま。

 

 2021年5月5日。再び、好きなグループのCDを手にした。キャラメル包装を丁寧に剥がし、ブックレットを開いて、タイトル「僕らの理由」の下に刻まれた素晴らしき人の名前と、大好きなバンド名をなぞり、噛みしめた。なお、夢見心地である。

発売日当日、素晴らしき人が「その歩みに触れ、グループの性格に惹かれ、楽曲を提供させて頂きました。好きです。」と綴った。溢れんばかりの、はち切れんばかりの想いが生まれた。

 このシングル(「僕らの理由」収録はB盤)には、DVDに「僕らの理由」のLiveRecording映像が入っている。好きなグループが、好きなバンドのとても大切な要素である「あなた」を歌っていることに感無量。私はとめどなく泣いた。

なんてこった。YouTubeでも見ることができるだなんて。私は数えきれないほど再生をした。

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 2021年5月7日。なんてこった。Mステに出た。

 私の近年での一番の後悔はこれだと言っていい。彼らが「僕らの理由」を引っ提げてMステに出演するだなんて知らなくて、母の「Mステ出てるよ~」という呑気な声でテレビに目を向けた。それもパフォーマンスの途中であった。画面向かって右上に出ている大好きなバンドの名前に目を凝らした。彼らが全力で歌っている姿、声、全てを脳に記憶した。「感動」という言葉では足りなかった。湧き出てきた感情を月並みな言葉では表に出したくないとさえ葛藤をした。信じられないようなことばかりで、なお、夢心地である。

 「僕らの理由」は、両者の良さを詰め込んだ最強の一曲だと思っている。

大好きなバンドの大きな特徴は、二人称が「あなた」であるところにある。いつだってどこでだって「あなた」との一対一である、そう言ってくれるバンドである。

 「僕らの理由」は開口一番、「あなたという人の意味は 今日も僕が感じているから」と歌う。「春じゃなくても」では聞くことのなかった「あなた」を聞けた、その衝撃は一入であった。好きなグループが、大好きなバンドの言葉を歌う。これぞ共鳴であろう。

 2番、「願うなら口に出そうぜ」と好きな人が歌っている。彼(彼ら)に出会ってからすぐ、「想いを口に出す人だな」と思った。目標や望み、この先の展望を、いつだって強く言葉にして周囲に伝えていた。自分自身への鼓舞と同時に、その姿勢で後輩を引っ張てもいた。かっこよく立派なその姿を想起した。胸にくるものがある。

 何でもない、特別なある日の夜に、噛みしめる。好きな人と好きな人との繋がりを想う。どんな夜だって考えれば考えるほど信じられなかった。他人だった大好きな人たちが、急に身内になったようだと思った。一括りにしたことのなかったものが、突然相関図の中で線を引かれ、関係性を持ったのだ。未だ、乗れるはずのない雲の上に乗れていることを不思議に思うような心持であった。風化することのないうれしさに一人感極まる。

 

 2022年1月27日。記念すべき、大切な一曲目「春じゃなくても」収録アルバムに次ぐアルバムが発表された。また、大好きなバンドのオフィシャルアカウントに「作詞作曲」「収録」という文字を見た。2021年2月5日、世にその繋がりが公表されたときから1年近くの時が経っていた。「是非とお話を頂戴し、~楽曲を提供させて頂きました。」と綴られた。二曲という実績を得た関係性には、「信頼」という字が見えた。当たり前とは到底言えないこんなご縁と機会をまた見届けることができること、世界に感謝だ。スマートフォンを片手に、涙しながら小躍りをした。

 

 2021年3月5日。アルバムの発売を待たず、楽曲を通したやりとりを感じることのできるパフォーマンスが公開された。

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 痺れた。「春じゃなくても」「僕らの理由」「つばさ」、3曲まるごと抱きしめた。うれしさがとめどなく溢れて、多幸感に包まれた。この曲を聞いて、彼らが曲を自分たちのものにしてくれていることがうれしいと思った。純粋な想い合いがこんなにも素敵な形で表に出て、それぞれの力となっていること。その相互作用は唯一無二だろう。あり得ないことが起こっている。当たり前は特別である。このすべてが過去になってしまうことを想像するとあまりにも惜しく、そんな未来が悲しいとさえ思った。今であるものだけを見つめていればいいものの、どうにもならない先のことを心配してしまうほど、かけがえなく思っている。ずっと、今であってほしいものだ。

 

 2022年3月9日。再び、好きなグループのCDを手にした。少し慣れた心持でキャラメル包装を剥がし、ブックレットを開いて、タイトル「つばさ」の下に刻まれた素晴らしき人の名前と、大好きなバンド名をなぞり、噛みしめた。三度目の正直という言葉が成立しているくらいである。今までとは異なり、三度目は少し現実味を感じられた気がした。この現実が無くならないように、必死だ。抱きしめて眠った。

 

 2022年4月28日、好きなグループのライブに行くことができた。数えてみると、なんとも6年ぶりであった。十分な心の準備がないまま、私は彼らの歌唱する「僕らの理由」を眼前にした。好きな人が、パフォーマンス時、「あなたに歌っている」と叫ぶ。驚いた。あまりにも、あまりにも嬉しかった。胸の奥から、心の奥から、想いが溢れて止まらなかった。3月26日に出向いた大好きなバンドのライブを思い出した。この共鳴っぷりはなんなのだろう。私は冷静に考えることすら難しかった。素晴らしき人の言葉を、好きな人たちが歌い、伝えている。それだけではない。心の底から、彼らはこの言葉を自分たちのものにしている。彼らが歌うことに強く、深い意味がある。自分たちには影響力があると自覚している彼らの言葉と立ち姿は、本当に美しい。

 

 思い返せば、私が足を運んだことのあるライブは好きな彼のグループと、大好きなバンドだけであった。どう考えても大切な思い出で、私の人生の中の財産のような出会いである。別々に好きになったひとたちが重なること、なんだか私の「好き」までもが肯定されるような感覚がある。彼らが今までの道を歩み、今にあること、そのすべてを抱きしめる。過去の私、好きになってくれてありがとう、本当に最高だぞ。彼らが変わらずに大切にしてくれていること、変わらぬ「らしさ」があること。本当に本当に唯一無二のひとたちだ。ありがとう。踏ん張ってくれてありがとう。今のあなたたちが一番かっこいいって、本当に思う。

 

 好きなグループを、大好きなバンドの素晴らしき人が「好きです」と言ってくれた。夜中の私の妄想のようだ。それでもこれは現実であると、CDブックレットの名前をなぞり思う。こんなにも最高なご縁が生まれてしまう世界のこと、好きになるしかない。日々に、新しい色が生まれた。

 

 かっこいい大好きな人、桐山照史さん。かっこいい大好きなグループ、ジャニーズWEST。かっこいい大好きなバンド、SUPER BEAVER。素晴らしき人、柳沢亮太さん。

 

 好きな人と好きな人が結びついた。

 

 

*1:その後調べてみると、好きなグループのどなたかが、ラジオで曲をリクエストしていたこともあったらしい。うれしい。